江刺に未知の作物であったホップの栽培が県内の先駆けとして取り入れられたのは昭和31年からであり、梁川では鴫谷の今野逸太郎さんが最初でした。
ホップ導入の背景には昔から江刺の地に野生のホップが自生していたことがあります。
当時の栽培面積は5a(江刺全体では630a)栽培農家は1名(江刺全体では92名)ではありましたが、後に岩手県がホップ栽培日本一となる礎となったのです。
昭和40年代末から平成10年までは10ha以上の栽培面積で、特筆すべきは平成に入ってからの一等品比率が平均で96%を超えていました。
現在は組合員数(4名)栽培面積(324a)とも減少傾向にありますが、食への安全、安心、健康志向に関心が高まっている昨今、より高品質な栽培に努めて行きたいと思っております。
(菊池 均)
梁川地区における菌床椎茸栽培の歩み
平成元年、梁川地区で冬期間の換金作物を勧めるため、故小澤健二氏、安部修吉氏が中心となり検討を重ねた結果、新しく開発された椎茸を栽培することになった。
平成4年に組合員11名で、江刺サンマッシュ生産組合を設立し、初代組合長に安部修吉氏を選任する。
それ以降、平成10年に組合員42名、生産量は8万8千玉を数えてピークになるが、組合員の高齢化等のために、平成26年に生産組合を解散し、設備・営業権を第三者に譲渡した。