四百年の歴史をきざむ やかたの象徴
「烏帽子山」
どこから見ても烏帽子に似ていることから「烏帽子山」と古くから言われているそうだが、通称「お舘山」と呼んでいる、旧野手崎村地内からはどこからでも望むことができる正に野手崎のシンボル的「烏帽子山」であり、その「烏帽子山」に寄り添うようにたたずむ町並みを、梁川総合運動場周辺、又は石刎周辺、そして農村公園(護法塔)等からの眺めが素晴らしく、更に新緑の時期、紅葉の時期などは一段とその眺めが素晴らしく地区の宝と云っても過言ではないと思います。
「おたてやま」の中腹には小梁川城址があり、かつて仙台領と南部領との藩境の要衝であり、現存してある多くの史跡の中でその城址が、惜しくも樹木の陰に隠れて望見できないのが残念であり、その城址の一角でも望見できるよう願っているところです。
町並みに沿って流れる広瀬川の周辺には桜並木や河川公園等が整備され、運動場畦畔、運動場駐車場に桜の木が植栽されてその周辺は桜に囲まれた環境になっているが、願わくは小梁川城址の周囲にも桜の花が咲き誇っている景観を夢見ているところです。
(日舘 S・A)
「お舘山」について
「堡土山」「烏帽子山」「お舘山」の三つの名称があります。
一六四四年(寛永二十一年)六代 小梁川宗影が野手崎村に封ぜられ「小梁川舘」を築いたころは「堡土山」と言われていました。
それから、八十三年後一七二七年(享保十二年)五代 伊達藩主吉村公の領内巡視があり、数珠石陣場地より「堡土山」を見て、その山容が「烏帽子」に似ていることを賞し「烏帽子形山」と「舘」の名を「烏帽子舘」と称すべしと名を賜った。それから、「烏帽子山」と言われた。
その後、中腹に「舘」あり「神社」あり、「御廟所」ありでいつの間にか「お舘山」とも言われるようになりました。
(伊達 宗孝)