いまや江刺梁川を代表する秋のみのり
四十年前に江刺りんごは、産声をあげた。
江刺のそれぞれの地区で若い農業者が、夢を、野心を持って、一歩ずつ歩んだ、多くの人々にその美味しさを認められ引く手あまたになるまで、苦難の道、苦悩の日々であったでもその先人たちの苦労のおかげで「江刺りんご」といえば、高級りんごの代名詞になるまでにブランドが確立し、梁川の大きな産業に成長した。
そして春のりんごの花の美しさ、収穫の秋のたわわに実ったりんごの姿は、梁川の象徴的な風景にもなっている。
梁川の地は古くからりんご産地であったそうな。菅生、角川原、長根、日の神、東沢目などがそうだった。
はるか年上の先輩生産者から、よくこう言われる、
「りんごはおらいが最初だ。明治からやってだ」と。
なるほど古い木は、根本や幹が、太くて大きい。
今は矮化りんごで、収穫しやすいように背も低く枝の細いりんごの樹が主流になっている。
りんご栽培の技術は変化しても、りんごにかける情熱となり物に適した風土と人の気持ちは変わらない。
昭和五十年代りんご団地の造成が江刺の各地区で相次いだ。
昭和五十三年突然工事が始まり、重機が目の前の山を切り崩す。子供の時から慣れ親しんだ沢田が、ブルドーザによって山砂に埋もれていく。
寂しさと少しばかりの怒りをもって工事が進むのを眺めていた。
あの日から三十数年、今そのりんごの恩恵を受けて暮らしている。
(佐藤 英雄)