代々の先祖が眠る聖域
金性寺の歴史と概要
萬年山・金性寺は、江戸時代中期の元禄十一年(一六九八年)、水沢区黒石の大梅拈華山・正法寺独住二十二世海盤良北大和尚によって開かれた曹洞宗の寺院です。本尊は、正法寺と同じ如意輪観世音菩薩です。古文書によると室町時代後期の元亀三年(一五七二年)野手崎村に金性寺が千立密巌和尚によって開かれたとあります。宗派は不明ですがおそらく天台宗だったと思われます。
山門の山号額は、幕末に曹洞禅高揚に貢献された月潭全龍(~慶応元年・一八六五年)の揮毫によるもので、大本山總持寺独住二世・畔上楳仙禅師や独住三世・西有穆山禅師、永平寺六十三世・滝谷琢衆禅師は、月潭のもとで参禅弁道し開悟されました。山号の「萬年山」は草書体で書かれひらがなの「おてら」にも見えます。
平成二十六年春に本堂右奥に開山堂兼位牌堂が檀信徒の寄進により建立されました。中央に御開山・海盤良北和尚、向かって右に曹洞宗開祖・大本山永平寺開創道元禅師、左に大本山總持寺開創瑩山禅師をお祀りしています。この三体の彫像は檀家で大工の故大内亀蔵氏の作で今回修理し安置しました。
金性寺十三世大悟(金盛)博禅大和尚の代に本堂屋根の改修・鐘楼堂建立、墓地区画造成などを行い、十四世梁山(金盛)宏仁大和尚の代には客殿の新築改修、大駐車場や境内禅庭整備を行いました。私の代には開山堂位牌堂建立のほか釈迦三尊像新設、禅庭円相・石段の改修・墓地参道整備や墓地案内板設置などを行っています。
(松森 弘隆)